人生32年も経てば、苦手なことでも
ある程度の経験則でこなせるようになってきたりはするけれど。
それでも
あ、人間って努力云々でどうにもならない部分ってあるんだな、って
無力感に打ちひしがられるシーンは多々ありますが
その最たるものが
運転ですよね。
【再掲】去年山口旅行した時の私の駐車技術
なぜみんな、あんなに平然と運転が出来るのだろう。
金沢転勤して、仕事でどうしても運転しなければならなかった頃
最早道路で走っている車を見るだけで
「なぜこの世のほとんどの人が普通に出来ることが、
私には出来ないんだ……」と己の無能感に苛まされ、
何度目かの事故で警察届けてから
営業時間外のレンタカー屋に車を駐車した途端、
このままじゃ職失います?人生失います?デッドオアアライブ?的な気持ちになり、
車の中で1人大泣きしたのもいい思い出……え、いい思い出……?
僕たちは人生のあらゆることに意味を見出そうとする余り、
全てのことを「いい思い出」で片付けてやいませんか?
「そもそもなんで免許取れたの……?」
「お前に許可を出した国家公安委員会が悪い」などの
ご意見をたまに賜りますが
私が行ってた教習所、
運良く?運悪く?
どうしても免許取れない人が最後に行く
駆け込み寺みたいな教習所だったんですよね。
通い始めたのは大学4年でしたが
確かに、教習所行ってた時から
私は何かがおかしかった。
当時から薄々気づいていたことで、
社会に出た後も案の定突っかかってる部分なのですが、
もう教習所で痛感させられたのがですね、
運転うんぬんの前に、
マルチタスクが出来ない。
機械にカードを挿入して自分の教習簿を受け取るのだけど、
教習簿受け取っている間に絶対カードを取ることを忘れる。(忘れ物で届けられること×5回)
仮免の直前の教習で、ドアのロックかけ忘れて
「次はちゃんと鍵かけてくださいね」って言われたので
仮免検定当日、よーーーし失敗しないぞ!と
鍵鍵鍵鍵鍵鍵……と鍵かけることで頭いっぱいになって
シートベルト忘れて完走する。
それでも仮免取れた後(取れるんかい)
いよいよ道路デビュー、
教官に「次は歩行者に気をつけてくださいね」って言われると
歩行者歩行者歩行者歩行者……と横断歩道見ることで頭いっぱいになって、
その上の赤信号に気づかずに教官に急ブレーキ踏まれて
「本番だったら死んでるよ!!!!」と怒られる。
己の類い稀なきシングルタスカーの素質に、
私は教習所で気づきました。
で、そんなことやってたり
寝坊したり素で忘れてたりで教習行かなかったりしている間に
気づけば私は教習所を卒業していないのに大学を卒業。
入社して早々に研修で茨城転勤を命じられ、
え、私どうすんのこれ??
いやでもお盆で帰省する時に通えば大丈夫うんうんと、
タカを括っていた私の2007年8月のmixi日記がこちらです。
::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::
お盆に教習所終えようと思って
1ヶ月前から予約全部取っといて賢いな私と思ってたのに 、
お盆開始が8月10日(金)だというよく分からない勘違いをしており
そこから全部予約しちゃってるし、 いやそこド平日で行けないし、
仮免以降は項目を順番通りに履修しなければならないので
全部キャンセルする羽目になった賢くない私。
--------------------------------------
教習期限は10月19日だ。
偶然にも自分の誕生日であったので忘れるはずもない。
9月には東京に戻れるのでそれからでも余裕で取れる。
とはいえお盆にも進めるだけ進めておこうと、
岡田は教習所を尋ねる。
長らく来ない間に変わってしまった時間割を取りに
受付に立ち寄った岡田の教習簿を見ながら、
やや太めだがそこがチャーミングな受付のお姉さんが呟く。
「期限が8月26日に迫っていますけど大丈夫ですか?」
岡田は耳を疑った。
……期限は10月19日ではないのか?
「それは教習期限でそれ以外に仮免期限というものが存在します。」
すぐさまカレンダーを見た。今日は8月の……12日……?!
予約機へと駆け出した。
お盆だけあって、既に枠の多数が埋まっている。
8月26日まで空いてる枠を全部取ってみた。
足りない。
取りきれない。
間に合わない。
待合室の椅子に座り、岡田はテレビを見つめながら
テレビではない別のものを見つめていた。
あの時間はなんだったのか。
あのお金はなんだったのか。
ここまできて、諦めるのか。
かつて仮免で挫折した姉と同じ道を辿るのか。
やはり姉妹なのか。
「免許取ったら、一緒にドライブに行こうね」
そう言ってくれた仲間たちの笑顔が
瞳の奥に浮かんでは消えた。
--------------------------------------
しかし、岡田は諦めなかった。
周囲の人間は口々に言った。
「本気になるのが遅すぎではないか?」
「負けたことがいつか大きな財産になることもある」
しかし、岡田は諦めなかった。
友人に平謝りして
旅行の予定をキャンセルした。
友人に平謝りして
待ち合わせ時間遅らせてキャンセル待ちを勝ち取った。
やや太めだがそこがチャーミングな受付のお姉さんに平謝りして
検定の日を特別に事前に押さえてもらった。
--------------------------------------
そうして、迎えた卒業検定。
これで落ちると明日また検定となり、
また友人に平謝りして予定をキャンセルすることになる。
とても優しい瞳をした検定員が言う。
「いつも以上の力をだそうとしなくていいからね。
いつも通りの運転でいいんだよ。」
道間違えそうになったら「右だよ、」と教官がさりげなく呟いてくれた。
右折しようとして途中で赤になってパニクって
道路の真ん中で止まった私を
「いやいや行っていいから!!」と教官がハンドル裁いてくれた。
そして検定終了後、教室で発表を待つ。
岡田の脳裏に、今までの辛く長い日々が蘇る。
仮免検定でシートベルトせずに完走した。
赤信号気づかなくて教官にブレーキ踏まれた。(×4回)
メインストリートを逆走しようとして教官にブレーキ踏まれた。
卒業検定前の見きわめ運転で
「本当は合格あげられない運転なんだけど……期限近いからもういいよ」と合格をもらった。
予約してたの忘れて無断キャンセルしまくって2万円追加で払った。
ついでに教科書失くしたので1,600円追加で払った。
ついでに写真も失くしたので1,050円追加で払った。
10分後、優しい瞳の教官が入ってくる。
「真に残念ながら……
皆さん合格になりました!」
その前振りは果たして必要だったのか。
--------------------------------------
長く苦しい運転が終わった。
しかしこれが全ての終わりではない。
勝利の美酒に酔うのはまだ早い。
そう、学科だ。
95問中90問以上正解しなければならない。
油断は禁物だ。
周囲では検定を終えた人々の雑談が始まっている。 皆余裕だ。
しかし私は雑談の端々に加わりながらも、決して勉強の手を休めない。
獅子はウサギを狩るのにも全力で向かうのだ。
そうして一心不乱に教科書に向かう私に
教習生の1人が呟いた。
「岡田さんさっきから一生懸命勉強してますけど……
学科は後日自分で別会場に受けに行くの知ってますよね?」
え、え、何それ??!!え??!!私昨日一生懸命勉強したのに??!!
混乱して叫ぶ岡田の肩に
一緒に検定を乗り越えた仲間である
片山さん(71)の手が置かれた。
「あなたもうちょっとしっかりしてね」
::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::
こうして私は「計画性の無さ」「空間認知能力の無さ」「マルチタスク能力の無さ」という
あらゆる弱点を教習所で惜しみなく出し切ったものの
その後何だかんだで学科も1発で合格してしまい、
傍目には全てストレートで合格という輝かしい成績で卒業を迎えましたが
3日後に早速免許証を無くしました。
そして5年後、転職時の履歴書に
「普通自動車運転免許」とバカ正直に書いてしまった為に
金沢に転勤し道路に走る全ての車を呪い、
半年後に「雪の運転は任せられないから……」と京都に異動。
運転が出来ないことで異動になった初のメンバーとして
社内で若干の話題になりましたが、
「でも北陸人手足りないから……」と結局毎週片道4時間半くらいかけて
サンダーバードで雪の富山へ乗り込みタクシー営業繰り広げたりしたのも
今となってはいい思い出……いやまあうん、これはいい思い出かな……
果たして免許を取って良かったのかどうかは分かりませんが
今日も私の身分証として私の財布を守ってくれており、
そんな私の唯一の自慢は
運転免許の写真が全く可もなく不可もなく、
現実のイメージそのままに写れることに定評があることです。
▼山口運転記はこちら
▼他ブログ(ドラクエと人生を例え続けるブログ)